——「やめどきのない構造」を、善のために用いるという試論 --- 「時間が溶ける」という表現には、どこか否定的な響きがある。 いけないことをしたような、取り返しのつかない浪費をしたような、そんな言い方だ。 だが本当にそうだろうか。 もしそれが、**人間の時間知覚に対して慎重に設計された構造**によって引き起こされているとしたら? そしてその設計が、娯楽や中毒のためではなく、**人の健やかな持続や回復のため**に転用できるとしたら? この問いは、十分に扱われていないように思う。 --- ### 時間が溶けるという現象 最近、『ティアーズ オブ ザ キングダム』というゲームに触れた。 任天堂のアクションアドベンチャーで、ジャンルとしては目新しくない。 しかし、体験としては特異だった。 気がつけば3時間が経っていた、という体験は珍しくない。 だがこのゲームでは、「やめようとしたその瞬間に、世界の側から次の動機がそっと差し出される」構造が繰り返される。 それは指令でも義務でもなく、**“問いのようなもの”** だ。 ちょっと向こうに何かが見える。 試してみたくなる。 「もうひとつだけ」と思う。 その繰り返しによって、時間が“溶けて”いく。 これは、設計されている。意図的に。 --- ### 「やめどきがないこと」は悪なのか? 我々は往々にして、「やめどき」を善とし、「やめられなさ」を悪とする。 それは自己統制や主体性を尊ぶ文化的態度によるものだろう。 だが、現実には「始められない」「続けられない」「続いている気がしない」ことで苦しんでいる人も多い。 もし、「やめられない」が適切に制御され、 「続けたい」や「気がついたら続いていた」という状態に変換できるなら、 それは**新しい意味での“持続の技術”** になるのではないか。 --- ### 応用の可能性(今は一般論にとどめて) 以下は、まだ仮説の域を出ない。 だが、構造としての“やめどきの喪失”を、どのような文脈で転用できるかを想像するだけでも、 それなりに見えてくるものがある。 #### 1. **高齢者支援における「問いの連鎖」設計** * 「歩いて帰る」だけの道に、少しだけ気になる寄り道ポイントを重ねる * 見守りではなく、「行きたくなる」道づくり #### 2. **リハビリやケアの場における“気づきの仕掛け”** * 回復のプロセスを「こなす」ではなく「発見する」形式に変える * 例:リハビリツールのUIに、「身体の反応に問いを返すようなアニメーション」 #### 3. **図書館や美術館など“自律的空間”における滞在設計** * 行き先を示す看板ではなく、**“滞在を少し延ばすもの”** を配置する * 例:帰り道の壁にさりげなく貼られた読書カード、出口近くの“つづき”展示 #### 4. **学習環境における“終わらせにくい設計”** * 明示的な単元の区切りではなく、「もうひとつ気になる」問いを残す教材構造 * 例:講義終了時に、学び手の入力によって“次のページ”が微妙に変化する設計 #### 5. **孤独ケアにおける「継続フックとしての行為連鎖」** * チャットボットや音声対話の中に、「あと少しだけ続けたくなる余白」 * 例:会話の終わりに明確な閉じがなく、「また来たくなる」間合いの設計 --- ### やめられなかったのは、誰の意志だったのか? ここで問いを改めて立て直す必要がある。 「やめようと思ったのに、やめられなかった」。 この現象を、私たちはふつう“主体の弱さ”として理解する。 意志が足りない、切り替えができない、だらしがない。 しかし、それはあくまで**近代的な主体観の前提に立った理解**である。 國分功一郎氏の『中動態の世界』において提示された視点に照らせば、 「やめようとした」「やめられなかった」という区分そのものが、 私たちの言語と認識における構造的誤解である可能性がある。 能動と受動の二項から外れた、中動態。 行為が“自分によってなされる”のでも、“他者によってなされる”のでもない、 **行為と存在が同時に生成されていく領域。** 「気づいたら続けていた」「問いが次の行為を呼び込んでいた」 という“やめられなさ”は、 まさに中動態的な出来事である。 --- ### デカルト的ではなく、スピノザ的に設計する 私たちは、長らく「意志すること」を主体性とみなしてきた。 しかしスピノザが語るように、**私たちは自己の行為の原因を知っていると思い込んでいるだけ**かもしれない。 むしろ、自己の存在は、無数の連関と影響と関係のなかで**生成され続けている現象**なのだとすれば、 設計とは、意志の強化ではなく、**持続可能な関係の布置**に移行すべきである。 そして、ティアキン的UXが示す「問いの連鎖による継続」は、 まさに**スピノザ的な持続(conatus)のミクロな構造モデル**として読み替えることができる。 --- ### 大きく、そして静かな布石として この考察は、決してゲームの話ではない。 これは、「どうすれば人が続けられるか」という設計思想の、**倫理と存在論を問い直す試み**である。 意志の問題としてではなく、 **関係の生成としての継続。** それをどう社会に実装できるか。 教育に、ケアに、日常の営みに。 中動態的設計とスピノザ的連関の可能性は、 私たちが「やめられないまま続けてしまった未来」が、 ある種の幸福な誤算として訪れることを、静かに予感させる。 --- **付記:** この構想は、現在個人的な思索の途中段階にある。 今後、設計者・研究者・実践者との対話を通じて、 少しずつ共有可能なモデルとして言語化していけたらと思う。 中動態的UX。連鎖する継続性。 これらを、人間の未来のために。 --- ## 注釈 この記事は、QSAループを用いた「ティアキン ゲームレビュー」生成実験のその3です。 - ゲームレビューその1:[やめようと思ったそのときに、やめられなかった](https://masatler.hatenablog.com/entry/2025/05/16/212703) - ゲームレビューその2:[ティアキンは“returnさせない設計”でできている](https://qiita.com/hann-solo/items/e813ca18542c2046275e) - QSAループを用いた「ティアキン ゲームレビュー」生成実験: - [QSAループでLLMが覚醒!「ゼルダの伝説TotK」レビュー記事で体験する思考の劇的進化](https://masatler.hatenablog.com/entry/2025/05/16/212507)